第19回(その2)(丹羽文生)

「二宮尊徳と報徳思想」

―― それでは早速、二宮金次郎さんの一生を見ていきたいと思います。
金次郎さんは、一七八七年、時代で言えば、松平定信の「寛政の改革」が始まった頃でございますが、相模国足柄上郡栢山村、現在の神奈川県小田原市の裕福な農家に生まれました。
ところが五歳の時、酒匂川の大洪水でお父さんが所有する田畑が流されて全ての財産を失ってしまいます。
その結果、金次郎さんは貧困を友にして育つわけです。
そして一二歳の時にお父さんが病に倒れ、金次郎さんはお父さんの代わりに酒匂川の工事に出たり、あるいは明け方早くに山に柴刈りに出て、夜は縄を編んで草履をつくって生計を立てた。
この山道の往復の際に金次郎さんは「大学」を携えて、行き来したわけでございます。
ところが一四歳でお父さんが亡くなり、続いて一六歳でお母さんが亡くなった。そこで金次郎さんは、叔父さんの家に預けられるんですね。
そしてそこでも金次郎さんは深夜まで勉学に励むわけです。
その姿を見た叔父さんは「百姓に学問は不要だ。明かりの灯油を無駄に使うな」と、大変、怒ったんですね。 そこで金次郎さんは、何と、自分で菜種を撒いて、それを収穫して灯油をつくって、さらに勉学に励んだそうであります。
金次郎さんの愛読書である「大学」。これは「四書」、すなわち、「大学」、「中庸」、「論語」、「孟子」の一つであります。
この「大学」を中心に学問に没頭した。
朱子は「少年老い易く、学成り難し。一寸の光陰軽んずべからず」と詠いましたが、まさに金次郎さんは、「時間を無駄に使ってはならない。今のうちにしっかり勉学に励まなければならない」という思いで、一生懸命、学問に取り組んだわけでございます。
そして、一八歳の時に叔父さんの家を去りまして、名主の岡部家に奉公し、一九歳の時に、二宮七左衛門の家に住み込んで、僅かに残った生家の廃田の復旧、耕作に努めました。
その努力が功を奏し、僅か二〇歳で、没落した生家を見事に復興させたわけでございます。――

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「二宮尊徳と報徳思想」(PDF:506KB)

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