第17回(その1)(星野睦郎)

「日本人の心と論語」

「有子が言うには、『礼』は『和』の精神を伴ってこそ貴いものだ。昔の帝王の道はこのゆえに美しいのである。しかしながら、小事も大事も全てこの『和』によるとすれば、うまく行かないところがある。和の精神を知って相和するとしても、『礼』によってこれに折り目をつけなければ、万事がうまく行くということはないのである」

――すなわち、「和」は「礼」によって折り目をつけることで真価を発揮するということです。 それでは、その「礼」とはいかなる意味か。
一般的には、礼儀作法や礼節を思い浮かべることが多いでしょうし、そのように解釈しても、この章句は、それはそれで意味が十分通じますが、ここではもう少し違った読み方をしてみたいと思います。
漢和辞典を何冊かひも解いてみますと、「礼」には主に次のような四つの意味があることがわかります。
すなわち、「人のふみ行うべきのり」、「作法」、「儀式」、「国家社会の秩序を維持する組織やおきて」です。
今挙げた中では、とりわけ、「人のふみ行うべきのり」と「国家社会の秩序を維持する組織やおきて」の意味が重要であると思います。
これらは、外交問題に即して言えば「国際法」や「国際的な大義」と解釈できるわけです。 ついでに、「義」という字の意味を漢和辞典で調べてみれば、「正しい」、「道にかなっている」、「人のふみおこなうべき正しい道」などといったものが出てきて、実は、今挙げた「礼」の意味とよく似ています。

ただ、「礼」は「正しさ」が外面に形として出たものという意味が強く、「義」そのものではありません。
しかし、究極的には「礼」は「義」を求めているものだと考えて間違いないわけで、義を伴わない礼は虚礼に他なりません。 以上のことから、日本人が陥りやすい「和」偏重は改めなければならず、「義」に裏打ちされた「和」を追求する必要があることが、論語の章句を通しても納得して頂けたのではないかと思います。 つまり「和」と「正しさ」は車の両輪でなければならないわけです。――

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「論語に学ぶ外交理念」(PDF:514KB)

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