第3回(その1)(田村重信)

「論語とそろばん ―論語を実践した渋沢栄一」

――その頃、「廃藩置県」という大改革が行われるわけですが、この「廃藩置県」を議論するメンバーは、木戸孝允、西郷隆盛、大久保利通、大隈重信、井上馨らがいるわけですが、渋沢さんもこうした討論に参加していたんです。
そして、そうこうしているうちに、渋沢さんは大蔵省を辞めることになったんです。
いろいろ理由はあったんでしょうけれど、その中でやはり一番大きかったのは大久保利通との対立ですね。
大久保さんは、財政に注意しない傾向があり「これから陸軍や海軍を大きくしなければいけない」と、予算要求をするわけですが、それに対して渋沢さんは「そういうわけにはいけない」と、反発するわけです。

「量入為出(りょうにゅういしゅつ)という言葉がございます。つまり、支出と収支のバランスを考えないといけないということですね。
それと、渋沢さんは埼玉ですから、薩長とは違いますので、どうしても、いわゆる藩閥政治というものを気嫌いするわけです。 あと、ヨーロッパから帰ってきて、「国富」、つまり経済を良くしないと駄目だと、商売を興さないと駄目だとうことを感じたんですね。 渋沢さんは自分が大蔵省を辞めた原因をこう述べております。

「当時の我が国は政治でも教育でも着々改善すべき必要がある。しかし我が日本は商売が最も振るわぬ。これが振るわなければ日本の国富を増進することはできない。これはいかにしても他の方面と同時に商売を振興せねばならぬと考えた。その時までは、商売に学問はいらないと言われ、学問を覚えればかえって害があるとも言われた。
そこで不肖ながら、学問を持って、利益を図らなければならないと決断をして、役所を辞めて商売の世界に行く」

その時、多くの仲間から引き止められるわけですが、渋沢さんは、 「私は論語で一生を貫いてみせる」と。
そして、「金銭を取り扱うのがなぜ卑しいのか、君のように金銭を卑しむようでは国家は成り立たない。官が高いとかではない。人間の進むべき尊い仕事は至る所にある。官だけが尊いのではない」と言っております。 自分は論語の教訓によって一生、商売をやってみようと、決意したわけでございます。――

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「論語とそろばん ―論語を実践した渋沢栄一」(PDF:521KB)

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