2009年12月(邱淑恵、高橋大輔)

邱淑恵:
「顔回について」

高橋大輔:
「論語研究会こそが現代の松下村塾」

今月の一節

子夏曰わく「小人の過ちや必ず文(かざ)る」と。

→子夏が言った。「つまらない人間は、過つと言葉巧みに言い逃れしようとする。」

(子張第十九)

「論語研究会の母」が優しく語る、学びの原風景

論語研究会が始まって以来、初めての土砂降りの中。
そして初めての雨天のみならず、この日は会が始まって以来の大教室。
開始以来、一番の大教室
いつもの教室なら満員になっていたであろう、多くの方が訪れて下さりました。
週末の雨の中、おいで頂き有難うございます。

第55回目のこの日は、外部から講師の先生をお招きせず、参加者の日頃の学びの成果を報告させて頂く回となりました。
前半は、中国健康コンサルタントの邱淑恵(キュー・スーエ)先生。
ツボ道場(http://www.tubodojo.com/)の主宰で有名な邱先生は、論語研究会の立上げの頃から見守って来られた、言わば「論語研究会の母」的な存在でもあります。邱淑恵講師
この日は、論語の中で孔子に次いで多くの節に登場する顔回(顔淵)についてのお話を頂きました。
父の顔路に続いて親子2代に渡る孔子の弟子でもある顔回は、師でもある孔子に次いでその言行録を多く紹介されています。講義の中では、『論語』の中で顔回に関する箇所(実に21箇所)を取り上げ、顔回の思想及び品格を浮き彫りに紹介頂きました。
邱淑恵講師

邱先生が取り上げて下さった顔回評は、以下の通りです。
1、聡明な人
2、謙虚な人
3、心から学問を好む人
4、穏やかな心を持ち、貧乏な生活に安んじて、道を楽しむ人
5、孔子の教えを体得し、忠実に実践する人
6、孔子の志に一番近い人
7、孔子を一番理解する人
8、同門兄弟に最も敬愛されていた人
9、顔回の死を悲しむ孔子
10、『論語』の中で2度ほど質問している

講義の中では、たびたび「道」について語られるのが印象的でした。
会では現在講演録を鋭意活字に起こしておりますが、講義内容の詳細については来春刊行予定の『続々・人間の品格~論語に学ぶ人の道~(仮称)』をお待ち頂けると幸いです。

為すも為さぬも、己なりけり

後半は、第25回(講師・ヒゲの隊長 佐藤正久)以来の参加で現在は会の事務局を務める高橋より「論語研究会こそが、現代の松下村塾ではないか」との考察を3年間の学びを振り返り報告させて頂きました。
事務局・高橋

「論語研究会を訪れるまでは、論語の「ろ」の字も知らなかった」との告白から始まり、毎月の回を重ねながら、どのような学びを盗み、それを活かそうとしているのか。少年時代の体験を交えて現在感じることを語りました。
教壇を飾るのは、郷里から送って貰った家宝の、東郷平八郎元帥の書とされる掛軸(皇国の興廃この一戦に在り 各員一層奮励努力せよ)。彼はこれまで書画の存在を意識したことすら無かったのが、論語研究会への参加を通じて尊いものに感じられるようになったとの事でした。
事務局・高橋
板書は、高杉晋作の有名な上句「面白きこともなき世に面白く」に自ら次いだ下句

為すも為さぬも己なりけり」。

つまらない世の中を面白くするものは何か。往時は野村望東が添えた「すみなすものは心なりけり」に替え、「心掛けだけでは足りない、行動を伴っての自分次第」と続けました。

こちらの講義内容詳細についても、『続々・人間の品格~論語に学ぶ人の道~(仮称)』を楽しみにお待ち頂けると幸いです。

今回の二人の話に共通するのは、孔子とその門弟達の関係と、松下村塾での吉田松陰や教え子達の関係は、現代の教育が失った「学びの基本型」が根底にある事です。
教える側は驕らず、学ぶ側も真摯に何かを掴もうとする。
大いに白熱した盛会となりました。

次回はいよいよ6年目。皆さん、新年にまたお会いしましょう。

【補足】

当日の講演報告で引用のあった各書籍は以下の通りです。



また、松下村塾の考察にあたり底本となったのは次の2冊との事です。