平井正修:
『最後のサムライ 山岡鐵舟』から学ぶもの

今月の一節

斉の景公、政を孔子に問ふ。孔子対(こた)へて曰はく、「君君たり、臣臣たり、父父たり、子子たり。」公曰はく、「善い哉、信に如(も)し君君たらず、臣臣たらず、父父たらず、子子たらずんば、粟ありと雖(いふ)も吾得て諸(これ)を食はんや。」

→斉の景公が、政を行う方法を孔子に問うた。当時景公は政を失って、大夫の陳氏が勢力を得、又景公は多くの夫人を愛して太子を立てず、君臣父子の道が行われていなかったから、孔子が対えて曰うには、「国を治めるのには人倫の道を明らかにするのが第一であります。朝廷においては、君は君の道を尽くし、臣は臣の道を尽くし、一家においては、父は父の道を尽くし、子はこの道を尽くすようにすべきものであります。」
景公は孔子の語を聞いて歎(たん)じて曰うには、「善い言葉だ。信にもし君が君の道を尽くさず、臣が臣の道を尽くさず、父が父の道を尽くさず、子が子の道を尽くさなければ、人倫が破れて禍乱が起るであろう。穀物があっても、われはどうしてこれを食う事ができようか。」
(出典:宇野哲人著「論語新釈」講談社学術文庫)

君主と下臣、父と子をぞれぞれ対比させていますが、一義的にはそれぞれが各々の立場を全うすれば良いのだという話です。
ただ、言葉としてそれを良しとするだけで実行できなければ、どんなに良いと思っても何ら意味を為しません。そういう意味では、「人のあるべき姿」と同時に「言行一致」についても考えさせられる深い言葉です。

学び舎が「寺子屋」になった日

冒頭の素読後は、全生庵第7世現住職・平井正修師に「『最後のサムライ 山岡鐵舟』から学ぶもの」と題して、維新3舟の一人として名高い山岡鐵舟居士にまつわるお話を頂きました。師のご著書「最後のサムライ 山岡鐵舟」の即売もあり、出版元の教育評論社・久保木様にもご尽力頂きました。ありがとうございます。


平井正修講師
山岡鐵舟居士に関してはWikipediaなどで詳しい情報を探せますが、このたび平井師に伺ったお話は抱腹絶倒あり、沈思黙考あり。短時間ではありますが座禅を実践頂いたりと、慶應に居ながらにして「現代の寺子屋」を体験できた貴重な機会となりました。

南州翁(=西郷隆盛)に「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困るが、そのような人でなければ天下の偉業は成し遂げられない」と言わしめた鐵舟先生のエピソードにも大いに引き寄せられましたが、会場を埋め尽くす聴講者の方々も平井師のお人柄に引き込まれた方が多いのではないでしょうか。
「人としてするべきは、良い事をしなさい。悪い事をするな。それだけなのです。けれど、それがまた難しい」との教えには息を呑む音が会場に響きました。
懇親会も平井師を囲み、大いに盛り上がりました。
これを機に座禅に興味を持たれた方は、是非とも全生庵ホームページにアクセス頂ければ幸いです。

当日は初参加された方や、遠くは京都福岡から遠路はるばるお越し頂いた参加者の方もいらっしゃいました。この場を借りて御礼申し上げます。
また、このたび著作をお求めになれなかった方はAmazonでもお求めいただけます。明治維新を成し遂げた「幕末三舟」の足跡、是非ともお読みください。